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History / 14th

第14回名古屋学生演劇祭

第14回名古屋学生演劇祭は終演しました。ありがとうございました。

【開催日程】

9月6日(土) 11:00〜 Aブロック
       15:00〜 Bブロック

       18:30〜 Cブロック
9月7日(日) 11:00〜 Bブロック
       15:00〜 Cブロック
       18:30〜 Aブロック

9月8日(月) 15:00〜    決 勝

​【会場】うりんこ劇場

【結果】

  観客賞 萌Co.  

 審査員賞 劇団とかげのしっぽ

参加団体賞 萌Co.

   大賞 萌Co.  

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参加団体

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な鳴る
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景色・道無
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​劇団はっそく
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​劇団クリップ
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おかし企画
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​萌Co.
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劇団翔
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劇団とかげのしっぽ
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劇団jobless

審査員

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斜田章大(廃墟文藝部)
ニノキノコスター
(オレンヂスタ)
岡本拓也(劇団サカナデ)

2012年に総合表現団体「廃墟文藝部」を旗揚げし、全作品の脚本・演出を担当。2024年からは劇作家協会東海支部副支部長を務める。

第30回劇作家協会新人戯曲賞受賞。若手演出家コンクール2019優秀賞。その他受賞多数。

2019年に劇団サカナデを旗揚げし、以降、劇団の全作品の戯曲・演出を担当。

「第一回虹の会演劇大賞」を劇団として受賞。

『家は続く』で第9回せんだい短編戯曲賞最終候補。

『超現代』で第11回北海道戯曲賞最終候補。

演出家・劇作家。コンテンポラリーダンス×人形劇、児童劇×ミュージカルなど実験からエンタメまで幅広く手掛ける。

P新人賞2017、若手演出家コンクール2022最優秀賞、第2回虹の会演劇大賞を受賞。

講評

=ニノキノコスター(オレンヂスタ)= 【総評】 2019年第8回以来となる審査員を務めさせて頂きました名古屋の劇団「オレンヂスタ」で演出家・劇作家をやっちょります、ニノキノコスターと申します。 画一的な表現方法、つまりは「演劇」と言われてまず発想・連想されやすい「形」、から抜け出そうとしている、創造性の高い作品・集団が多く、様々なカルチャーに触れられているからこその多様性の萌芽を感じました。 【Aブロック】 ◆な鳴る ・俳優の演技力が高く、そこに"在る"ことが自然に出来ていた。つまりは脚本の演技演出が上手く作用している。 ・改善点があるとしたらその”在りよう”と比較した際に、脚本も一定”そのまま”上げている点にある。しかして、渦中の場合は難しかろう。だが、ドキュメンタリー演劇(かのように見える脚本)を40分で上演する際、羅列する中でも客観視して構成の工夫や脚色を加えることで見えぬ軸を勝手に観客に植えることは出来たかもしれない。 ・明言せずとも「性と生」の刹那的な生き方こそ若さの特権であり、瑞々しい後ろ暗さには大変好感を持ちました。22歳くらいまでのインナーノコスターが胸を締め付けられ泣いておりました。肉体が女性というだけで起こり得る困難はまだまだ社会に蔓延っております。あなた方が生きやすい社会にしたいとオトナノコスターは思いました。誠にお疲れさまでした。 ◆劇団クリップ ・(ほぼ)二人芝居をやりきった点において、俳優を褒めたたえたい。ただし、自意識よりも肥大化した何者か、に膨張させようとする試みは今後封じてみてもよろしいかもしれない。自身という人間の中に潜むシニカルさ、可愛げ、カッコ良さ、醜さ、そういうものを丁寧に見つめることで、そこに歴と存在することができるようになるのではないだろうか。 ・脚本面においては、口語会話のみで構築するのか、そうではなく虚構の世界を持ち出す必要があったのか、時間制限はあれどもログライン(結局伝えたいことは何?を三行で記す)をまずは整頓されるとよろしいかな、と思いました。 ◆劇団翔 ・脚本については「ファンタジー社会ではヴィランとして君臨できる傲慢なるハートの女王も、現代社会においては上手くいかない」という話を主軸にしたら、より面白いのではないか?と思いました。観客が原本を元に「主人公であろう」と見なすアリスが、話を回す役割にあったからです。アリスが「そんなん今時無理だよ~」とハラスメントを断罪&無双しても面白かったかもですね。マッドハッター達が労働局に訴えたり、退職代行を使おうとしても良かったかもですし、そもそもハートの女王がそうなった背景(悪役の中の善性)を描いてもより面白かったかもです。 ・演出面においては、立ち位置を指示することによる見え方・見せ方は適切でしたので、演者がそこに向かって行動する理由を「形」だけでなく自由に創造できるとよりよろしいかもしれませぬ。創る時まで演出家というハートの女王の言いなりではならぬと思いますゆえに。 【Bブロック】 ◆景色・道無 ・ヒトあらざるモノを表現するために、常にムーブを行う存在を用いたことは適切である。是正点はムーバーとトーカーを分けた際に、どのような演技演出をムーバーにさせるかにある。 ・脚本の流れ自体がシンプルなので、この作品の見せ場はトーカーとムーバーの融合という演出面にすべてかかってくる。つまり単純に高い品質が求められる。これはこの年齢層だと、そこまでに培われた物、身体言語(その人の身体に根付いた所作や動作)が全てとなってしまう。ゆえに最適解は「踊れる奴を三人呼ぶ」だった。 ・しかして、そうではない座組でも我々は品質を高めねばならぬ。その際に用いるべきは「得意を引き出す」である。まだ技術を伴わない場合、演出家の「想定」を超えることは、ほぼ無い。この場合、演者の持ち物をお借りして、表出した物が絵面として効果的なのか、新しい脚本解釈の一助となり得るかを検討し、可能性があれば採用する。そうすると自分でも観たことない景色に出会えて、よろしいかと思います。 ◆おかし企画 ・脚本に関しては、幕が下りる恐怖に対して流石に「何を~思えば~いーんだろ~♪」と思いました。あ、この歌詞はTHE YELLOW MONKEYの『JAM』という懐メロです。つまりは舞台さんの中の舞台さんに対して真面目に考えすぎなのではないか?ということです。お前さんの恐怖もお前さんの喜びも共感を得るまでいかず下らねぇと笑い飛ばすまでいけず、どっちつかずではあったので、もっと極端に振り切れたらいいと思います。極端であることは恐怖です。誰に何をどう思われ、誰にどう言われるか分かりません。人間は生きているだけなのに1割には嫌われるだとかなんだとか、らしいです。嫌われ万歳でいきましょう。作品が嫌われても、あなたという「人間」への評価とは、別です。 ・これ(真面目すぎなのでは?)は、演技演出での処理も可能です。「大切なことを大切に言うな」「悲しいことを悲しく言うな」とはよく言われた物ですが、切実な想いを切実に述べる「必然性」はないわけです。演者の中では切実であろうとも、それが観客の心を動かす状態になければ、素直さや真面目さを捨てる覚悟を持つことが演出家には求められるかと思われます。 ◆劇団とかげのしっぽ ・戯曲が持つ目線の特異性や語彙に作家性が強く存在した点が推薦となった点です。(個人的には。)書かざるを得ない目線を持つ生き物は、長く、強い生き物になると私は考えておりますがゆえに、考え続けてください。これからもあなたの切り口が読んでみたいです。 ・しかして、我々はそれを立体化せねばなりません。その際に演出家としての目線がまだ弱いように感じております。それは客観視であり、不足を埋め、作家としての自身と演出家としての自身を切り分けられるようになることがこれからの課題かと思われます。 ・どのような意図でもってそのムーブを入れ込んだか、は演出プランの中で観客に全てを開示する必要はございません。しかして、想像の余白は、戯曲だけではなく、演出にも存在します。これだけの戯曲を書く胆力があるのならば、言葉を空間にトランスレートすることも不可能ではなかろう、と思います。同じです。とっている形が異なるだけです。ゆえに、もっと「余白」を恐れぬ挑戦を、演出にも是非。 【Cブロック】 ◆劇団はっそく ・演技演出においては、自然体であることと、リアルであることと、異なります。で、自然体の美しさはそこに存在しておりましたが、機微の中での気付きを得たかったなぁ、という思いがあります。 ・演出:見立てにおいての紙飛行機は、卑猥であり関係を示す面白いものでありました。 ・しかして、脚本に何かを新しく用いろなどとは一切思いませんが、退廃的でもない、希望も無い、過去も無い、ただ流れる時間を観客が楽しむ秘訣は「演者自身の魅力」を吸引力とするタイプの脚本/演出方法でありました。であれば、演者が、変な言い方とはなりますが「もっとモテる」「可愛さに胸がときめく」「愚かさに胸が締め付けられる」などの仕掛けは必要となります。低体温な脚本×低体温な演技演出が成立するのは、高品質な脚本と高品質な俳優によるものです。ゆえにこちらに工夫を取り入れられる客観性が育成されたら勝っていけるのはでないでしょうか。 ◆萌Co. ・演出面においては、映像と身体と十二分に活用されていたかと思われる。しかして、舞台美術の在りようにおいては、不要ならば置かない。置いたら使う。それでも演出的に不要なら置かない。という勇気をもって英断されても良いかと思われます。今回、背景の箱は一切不要でした。人体にそれだけの強度が充分お在りかと思われますゆえに。 ・脚本面においては、ルッキズムについてのポイントを押さえる点を、もう少し増やしてたまに思い出させてドキッとハッとさせましょう。というか、これは演出でもできます。面くんは面白い物体なので、面くんがもっと喋ったらええのではないでしょうか。人形劇技術の応用で可能だす。です。 ◆劇団jobless ・「音」への感度が高く、聞き心地が大変よろしいものでした。群読による厚さ、台詞のリズム感、歌謡曲など聞き応えがある作品で、またその声量を支えるだけの、舞台上にあがるための基礎的な身体性が充分に備わっておりました。 ・問題点は、脚本解釈において「バグ」となり得ることを放置した点くらいではないでしょうか。 ・希薄な身体性が増える中で見事でした。実は現代を舞台にした作品よりも、もっと身体強度が求められるような世界を今後模索されても良いかもしれません。鍛えられて成果が出るという身体はそれだけでも希少です。どれだけ頑張っていても筋肉が付かない方も世にはいらっしゃいますし。それだけ出来うる仲間たちは貴重なので、どうか離さず鍛練を積み続けて欲しいです。そして観たいです、新しい景色が。観れる/魅せてくれるようになる方々だと思います。 =岡本拓也(劇団サカナデ)= 【総評】 参加団体の皆様、実行委員の皆様、お疲れ様でした。レベルの高い作品が多かったです。 受賞し、全国学生演劇祭へと進む2団体は既にかなり良い作品を作っていますが、さらなるブラッシュアップをして活躍していただきたいと思います。 決勝に上がったものの受賞を逃した2団体は、クオリティの高いものを作りながらも敗れるということで、特別な悔しい思いをしていると思います。僕はこの2団体については、今回でファンになった人がいること、次の作品ではさらなる評価を受けることを確信しています。  決勝に上がれなかった団体についてもそれぞれ健闘していました。一方でわかりやすい課題を抱えていた作品も多かったように思います。その課題を見つめることは次の創作にとって必ずプラスになります。皆さんの次のクリエイションがより素敵なものになるように、講評の中ではできるだけ皆さんの作品の良いところや課題と思える部分を言葉にしたいと思います。 講評内では課題の指摘をしますが、大事なのはどうやったらこれから面白いものをつくれるようになるか、だと思います。全団体課題の質は違いますので一概には言えないですが、予選を勝ち上がれなかった団体のいくつかについては、プロの演劇を観てる量がもしかしたら少ないのかもと感じました。勿論沢山観ている人もいるのは承知しております。 極端に典型的な話型をとって物語が進行している、というようなわかりやすい課題をみると、もしかしたらまだ芝居を観る目を鍛える段階を経ていないのではと感じました。 すでにたくさん観ている人には余計なお世話になってしまいますが、そんなに観てないなという人はまず沢山演劇を観て、一緒に作る仲間と話すことが大事だと僕は思います。 まずは今回の演劇祭の他団体、自分たちより面白いと感じた作品があれば、なんで面白いのか?を沢山座組内で話してみると良いと思います。 その後、第一線の、プロの芝居をたくさん観て目を育ててください。そうすると、皆さんにとって何が本当に面白いのか、自分のフェチズムは何かがもっとクリアに見えてきます。 そしてできたらプロの芝居を「仲間と一緒に」観に行って話してほしいんです。 そうすると、チームの皆が目が育った状態で作品作りに望めます。例えば戯曲が書きあがった時点で「ここは疑問だ」とか「これでいいのか」とか話して、上演前に立ち止まってブラッシュアップできます。 Youtubeでもプロの芝居を観れたりします。(Japan Foundation国際交流基金というチャンネルおすすめです。「iaku」とか「ロロ」とか「た組」とか面白いですよ!) 演劇創作のステップアップの段階として、勉強することは避けては通れないのかなと思います。その勉強の第一歩がプロの芝居を観て目を鍛えることかなと。気が向いたらやってみてください。 【Aブロック】 ◆な鳴る 起伏のあるドラマではなく、日常のやり取り、空気を見せることに注力していて、それ自体に見ごたえがありました。 舞台は風俗店のバックヤードですが、ここで話される会話はお互いの内面を深く掘り下げることは少なく表面的な話が多いです、例えば筑前煮、ハリソン山中、痰が絡む、ある種しょうもない話が大半を占めています。しかしそれによって彼女らの関係性が見えてきます。ここでの関係性は「踏み込みすぎないけど、ある程度の心配はするうえで、その場を楽しく過ごせるくらい」だと僕は感じました。その距離感の描き方が絶妙でした。  その上で後半「死んだらありえんくらい悲しい」という言葉が出てくる。前半で絶妙な距離感を提示されていたからこそ、それとは違う距離感のセリフで、良い意味でどきりとしました。 しかも死んだら悲しいという話をした後で、大して時間も空けずに「老いる前にぽっくり行きたいよなー」「それな」という死にまつわる軽いやり取りが挟まる。このバランス感覚もすごく良かったです。 最も良いなと思ったのは、ギターを弾くところです。この作品では風俗のバックヤードから動かないため、彼女らがその場所以外で過ごしている時間のことは描きようがない。しかしギターをあれくらい弾けるようになるにはちゃんと練習しないといけない、だからなぎには家とかスタジオで練習してる時間があって、そういう人の歴史、過ごしてきた時間を持った存在なんだということが演奏を通じて感じられました。風俗店のバックヤードにいる人という記号ではなく一人の実態を持った人間である、それは当たり前のことですが、舞台の登場人物にそういった感覚を持てるようにすることは簡単なことではないと思います。また、ギターのシーンが豊かで楽しくある中で、その演奏は黒服の声によって中断させられるという無慈悲さも含めて、良かったです。 ここからはブラッシュアップの余地について話します。あくまで皆さんの作品であり、皆さんのやりたいことが大事です。検討の余地のあるものだけ持ち帰ってください。  冒頭の「これは私の日常~」から始まる映像について。 演出家はコンセプトを提示し、観客の見方を方向づけるために入れたんだと思います。ここは検討の余地があると思います。つまり、この映像を削ってみるという方向性です、そう感じた理由を説明します。 バックヤードで行われていることが非常に練度高く空気がつくれているので、このコンセプトを出さなくても観客は自然に映像で出したようなことを感じとることができる、と思いました。例えば「起承転結もなく、続いていく。私の愛おしい日々」という文が投影されます。映像がなかったとして、舞台を観ているだけで観客が勝手にそういうものだと感じる、観客が発見する、この方が観劇体験として豊かだという可能性はあります。舞台上で行われていることが上手く行っているゆえにそう感じました。 もう一点はラストの客席を使った演出です。こちらについては観客席を安全圏にしない仕掛けで、なぎの友達の話であり、ありさが話した隣の席で発作を起こした人の話とのリンクで効果としてはある程度はあったと思います。客席にいるあなたもみてみぬふりしてるし、助けないよねっていう仕掛けかなと解釈しました。違ったらすいません。この仕掛けについては舞台を観ていると客席にいた人の様子をずっと見てるわけじゃないからどれくらい状態が悪かったのかがあまり見れてないという問題がありました。そんな中で、あなたも「何もしなかった」というような刺され方をされると違和感がある。 あと、客席の位置によっては効果的に機能しないかもとも思いました。もしこれをやるならどうしたら効果的かはもう少し検討の余地ありという気がしました。  最後に、この作品の魅力には俳優の力が大きく作用していたということは書いておきたいです。俳優たちの空気作り、距離感、関係性の見せ方、素晴らしかったです。 ◆劇団クリップ 戯曲に対して「なんでそうなるのか」という疑問の部分が多くありました。 これについて指摘しますが、作家一人の課題としてというより、座組全体の課題として受け取っていただきたいです。なぜなら「ここのシーンこれでいいのかな?」とか「感情の流れに違和感がある」とかは座組内で指摘できた、これからそういうことも話せるような集団になると良いと思うからです。 まず中盤、夢の中の人物が親友だ、と聞かされた朔夜は(胸倉をつかんで)怒鳴ります。胸倉をつかんで怒鳴るって現実で考えるとよっぽどのことがないとありえないことです。このシーンでは、親友の話が出てきただけで、例えば親友を侮辱されたとかでもない。そうなると率直に「何にそんな怒ってるの?」って思ったんです。怒った場合にしても、普通人間って怒りをごまかしたり、おさえようとしたりしますよね。そういうこともなかったのが不自然だった。こういう時に作家に考えてほしいのは、自分だったらどうする?ってことなんです。このシチュエーションで本当に友達相手に胸倉つかんで怒鳴れるか?自分の感覚が全てじゃないにせよ、舞台上でのリアルを描く上で助けにはなると思います。 後は作者の都合で書きすぎている部分も気になりました。序盤に日向の「この夢のことをもっと知らないといけないって、そんな気がするんだ」ってセリフがあって、これも「なんで?」って思いました。夢に出てきてるのが朔夜の親友だとわかってからはともかく、その前に謎の夢にこだわる理由がない。その上で朔夜も「夢の続きはどうだい」とか聞いてもくる、これは作者の都合で書かれたセリフなんです。  あと、朔夜は一心の死について「自分が代わりに死んでいれば」というレベルの後悔を抱えています。それも「なんで?」となりました。なぜなら一心の死は完全な事故だからです。「どうして俺じゃなかったんだ」という思考になる理由がわかりづらい。 例えば、朔夜が一心に自分がいくはずだった映画のチケットを譲った、それによって映画館に行く途中で事故にあったみたいに、自分の行動が絡んでいたら、「本当は自分が死ぬはずだった」とか、責任を感じれますよね。でもそういうたぐいのエピソードがないから、朔夜が自分を責める理由がぴんとこなかった。 このように戯曲には課題が多いですが、俳優についてもそんな風に人って喋るかなという疑問が多くありました。基本的に力が入りすぎていたと思います。必ずしも自然な会話が全てではないものの、自然に聞こえる会話について考える必要はあると思います。 色々書きましたが、やはりまずは冒頭の総評で書いた通り、皆でプロの演劇を沢山観て、話して、その中で舞台上のリアルってどんなものがあるだろうとか、自分にとって本当に面白いことって何だろうとか考えてみると良いと思います。 交流会で話してみた感触程度ですが良いチームになりそうな空気を僕は勝手に感じました。 決勝に上がった団体との差は刻んで少しずつ勉強して登っていけば埋まります。気が向いたら勉強してみてください。 ◆劇団翔 この作品についても戯曲の課題を指摘します。第一には、主人公の葛藤である、周りに合わせて自分を出せないっていう話とアリスの世界で繰り広げられてることが、関係してないように見えるってことなんです。 作中ではアリスは女王に自分と似てる部分があるっていうことを言うんですけど、ここの関連がまず薄い。女王の悩みは世界から忘れられないために都市を開発したっていうことですよね、それが裏目に出ている、変化するかしないかみたいな話。そのこととアリスの周りに合わせて自分を出せないという問題は関連が弱くみえる。作者の中で関連があると思いますが、もう少しわかりやすく関連づけてほしい。  第二に不思議の国のアリスの世界をモチーフにしていることについて 普通アリスをモチーフにする作品には、あのハチャメチャで不思議な世界を期待してしまいます。 でも今回は現実のようにつくりかえられているアリスの世界にいってしまう。 勿論その設定はひねっていて面白い。一方でこの作品では不思議なことが起きないからそもそもなんでアリスじゃないといけなかったんだろうとも思う。白雪姫の世界が現実みたいに作り替えられたでもよかったのか?だとするとアリスの必然性が弱い。ということになります。 「アリスの世界のはずが現実のようになってる」という違和感に対して、今の戯曲だと「まるで現実みたい」ってセリフを言うだけなんですね。アリスのはずが、現実っていうギャップが活かされていないんです。 例えばギャップを活かすなら、主人公はアリスの世界のファンです、しかもその世界に迷い込みました、「あのお茶会のシーンとか体験できる!」って期待していたらチェーンのドトールに連れていかれて、「えー現実じゃん」みたいになるとか。そういうギャップを楽しむ方向性もありえたと思います。 あるいはもっと本質的な部分と絡めれば、アリスの世界が現実みたいになったことによって、隠された部分がありますよね。アリスの世界の狂気的な個性が全部そがれて隠されている、そのことが学校で自分の素を隠しているアリスの葛藤とつながる、とか。 あくまでこれは例ですが、このようにするとアリスの世界が現実みたいであることが作劇に活かしていけるのかなと思いました。  最後にこれは他の団体にもありましたが、物語が設定の説明→説得→解決成長という段階を踏んでいる。この話型の問題は、説得に入ってからが観る推進力が弱くなるんです。なんでかというと途中で、「あ、アリスが女王説得してちょっと成長して終わるな」ってのがもう見えてる。見えてしまうと後は答え合わせの時間になってしまう。 大事なことは、説得して、解決成長してもいいのですが、それは1つの型に過ぎないということです。他にも無数の型がある。例えば「劇団トカゲのしっぽ」も「な鳴る」も説得も成長もしてないけど、面白い作品でしたよね。 そういう風に説得成長をしなくても面白いものになる。むしろ説得、成長の話だと後半の10分ぐらいが何するかわかり切っちゃうけど、そうじゃない話にすれば、最後終わるその瞬間までどうなるのかわからない、面白いまま終わることができる。 だから説得、成長以外の作品の型を知るといい。実は皆さんの本当の好き、フェチズムを満たす作品は、この話型じゃない可能性があると思うんです。いろんな物語や演劇のスタイルを知ったら実はこのスタイルが好みだって見つかる可能性は大いにあります。勿論その上で、説得と成長が好きならそれの上手いバージョンを知って磨いていけばいい。 どうすればいろんな物語のバリエーションを知れるか。結論は冒頭の総評の通りプロの芝居を観てくださいになります。プロの芝居を仲間とみる、話す、型を知る。これが良いと思います。 【Bブロック】 ◆景色・道無 身体表現を物語の中心に置いて、それ自体によって物語を進めるという挑戦的な構成になっていて、良かったと思います。出演(振付も担当されたと聞いた)の青花こはるさんが身体表現の力としては頭一つ抜けており、作品を引っ張っていたと思います。 他の俳優さんも健闘していました。その上で、どうしても今の戯曲・演出だと、「全員の踊りのスキルがもっと高く、実力が同じくらいだったらより良かったのでは」と考えてしまいました。 魅了する、魅了される、最後にはその魅了されたものに同化する、という展開を達成するには、まず魅了の段階で高い踊りのスキルが必要だと思います。加えて、最後、男が自分を魅了した存在と同化するという展開の際には、男が最初はぎこちなかったのが、最後には自分を魅了したものと同じように踊っているということにより、同化を表現するという選択肢もあり得たと思います。 皆の踊りのスキルをもっと時間をかけて鍛えるという手を取るか、戯曲・演出・振付において、踊りのスキルに差があることを前提として作品を作る、という工夫はあっても良かったかもしれないと思います。 ◆おかし企画 舞台さんがリアクションを返したところが面白くて、そこからもっと舞台さんが絡んでカオスになっていくのかなと思ったら、人間同士のやりあいだけになっていったので、もっと舞台さんが絡んできても面白いなと思いました。 後半演劇論を戦わせた末に木の棒を持って戦うシーンがあるのですが、そこが小道具のチープさもあってか、少しシュールな、登場人物たちは真剣に戦ってるけど、離れて見てみると面白い、というような構図になっていたのが意図的だったのかが気になっています。笑いを起こすことを狙ったのか、そうではないのか。もし意図的にこのシュールさを作ったなら見事です。でも意図的でないなら、シュールに見えてしまっていたということは把握しておいてほしいです。 もし意図的に笑いを起こす目的だったとしても、もう少し周りのシーンとの演技のバランスを調整することはできたと思います、簡単に言えば普通のシーンは芝居をもっと自然に上手くする、熱いシーンはとことん熱くやる、こうすると熱いシーンについては登場人物は真剣だけど、面白くもあるということを観客と共有することができた。それによって笑いをより起こすことができたと思います。 勿論そのようにわかりやすくしてしまうことによって失われる魅力もあると思いますので、あくまで一案だと思ってください。 ◆劇団とかげのしっぽ 面白いです。とてもセンスのある戯曲に対して、センスのある俳優・スタッフがそろって応えていたと思います。最後までわくわくして期待して観れる作品でした。 率直に言うとわかりづらい部分があるんです、最後血が出てきたところとか、何が起きたんだろうってわからなかったし、劇中における光というのは何を表象しているのかといった点は、今にいたっても仮説は話せますが作者の意図とずれてしまいそうです。 それくらいわからないのですが、面白いわからなさであり、観終わった後も作品への興味が持続する仕組みになっていたと思います。1つの正解を考察してたどり着くことが目的ではなく、あれってなんだったんだろうって色々考えられるのがこの作品の魅力だったように思います。 この作品は笑いを狙ったセリフがいくつも仕込まれています。そしてそれは上演においてかなりはまっていました。それによって観客は笑う、笑っている間に物語の後半得体のしれない場所に連れていかれている、というホラーな体験になっており、その体験自体が面白いものだったと思います。 セリフのセンスが大変高いです。ずれた会話がめちゃくちゃ面白い、その上で今回の上演においてはモノローグの切れ味がかなり高く感じました。直接的に何かを説明しようとしているところが一切なく、こちらに程よく解釈をゆだねるような塩梅になっている。 俳優の小田巻春花さんのモノローグを扱うセンスも大変良かったです。余計な力が一切入っておらず、言葉の鮮度が一切失われずに客席に届いていました。 気になったところをいうと、後半部屋に電球をつけに行った後、ぐるぐる回りながら喋ってるところが、唯一長いなと思って、絵が変わらないのと回る時の動きが、床に物があるからかシャープじゃないというか、それまでのシンプルかつシャープな絵に対して、ちょっと俳優の動きも含めてごちゃごちゃしていて少し気になりました。 もう一点については正直ここに書くかも迷ったのですが、後半トイレの電気が消そうとする前に消えるあたりから、さっきの血も含めていくつか展開が起きますが、やや処理が追い付かないくらい展開が速いなと感じたんです。書くか迷ったのはこの速度がある種、客席に実態をつかませないような魅力にもつながっているように感じたからです。 とはいえ簡単につかませないにしても、観客が舞台で起きたことを受け取って想像力を広げられるわずかな時間を意識した調整は、しても良い可能性があるなと感じました。ただこの辺りは演出家の手腕が巧みですから、この速度と僕の感じた感覚も意図的なものなのかもしれません。 あくまで一人、速いなという感想を持った人もいた、という程度で聞き流してもらって大丈夫です。  全国でも評価される作品だと思います。おめでとうございます。さらなる活躍を期待しています。 【Cブロック】 ◆劇団はっそく セフレとの時間の何気ないやりとりを覗き見る、あえてドラマ性を避けている作品で、作中のキーアイテムである手紙も劇中読まれない。という徹底ぶりは面白いなと思いました。 だらだらした時間が続くんですけど、それに対して観続ける推進力がどうしても弱いことが気になりました。ドラマ性を避けて手紙も読まない、これはいいとしてその代わりとなる推進力が1つでもあれば良かったのかなと。何か一方が隠していることがあると観客には前半に提示されるとか、(作者の中で設定としてそのような隠し事やサブテキストはあったかもしれません。今回はそれを多少なり観客に提示するパターンの話をしています) でもこのように隠し事とかでドラマ性を高めてしまうと作者の本当にやりたいことから外れてしまうかもしれません。ここが難しいところです。作者のやりたいことも大事にしつつ、推進力となるささやかな、作者があざとくないと感じる程度の仕掛けを1つ入れることは手としてはありかなと思いました。 もう一つ気になったこととして、セフレの関係で気も許している二人だけの空間で交わされる会話が、全部客席にいる人が理解できるような会話だったということです。セリフはある程度自然ではあるが、やや整理されすぎている印象は受けました。二人にしかわからないノリとか、こっちが聞いてもわかんないフレーズとかつまんないボケとか、そういう二人だけにしかわからない世界が繰り広げられてくると、観客はそれを覗き見る楽しみも出てくる気がしています。 今作は自然な会話を徹底的に追求して書いたと推測します、その自然なものを見つめる目を使って、より二人が他の人がいる場所ではやらない動き、言葉を発する瞬間を描いてみるとよりこの作品はよくなると感じました。 ◆萌Co. 笑いのセンスがかなり高いです。その笑いの力は客席を味方につけられるほどの強いものであり、大賞を受賞するにふさわしい一つの磨かれた武器だと思いました。笑いの中でも特に小人が何か言った後の主人公のリアクションの取り方が本当に上手でした。 あととりわけ笑ったのは「だったら、想像で、黒いモヤも消せたんじゃね。」っていうラストあたりのセリフです。こういう一つ引いた視点を小気味良く入れてくる、戯曲のレベルでも抜群の笑いのセンスがあるなと思いました。 この作品には「自分の笑った顔が嫌い」という主題があります。ラスト鏡をみて笑うシーンで終わります。それだけ聞くと、シンプルすぎるような気もしてくるのですが、僕が非常に良いなと思ったのはその最後笑ったことに全く、作者の意向とか、少しの成長という話のパターンだということを感じなかったことです。 一言で言えばあの笑いは、変な旅過ぎて、もうこれは笑うしかない。ということだったのかなと受け取りました。タイトル通りでもあるその展開を全くあざとくなく感じられたのは、それまで笑いを、しかも良い意味でしょうもない笑いも含めて積み上げてきたからです。笑いの積み重ねがストーリーテリングの重要な要素にしっかりなっている。そんなことできるのか、と驚きました。見事でした。 一方で、自分の笑った顔が嫌い、という主題は幹として全体に機能しているかというとそうではない、枝葉のギャグの方が前面に出ている印象は受けました。それをどう考えるかは難しいところです。今の時点でも、ギャグの中で笑った顔をみせないという伏線を処理していたりと、非常に上手く関連づけている箇所もあります。これ以上主題が前に出すぎてしまうと、今ある面白さが損なわれてしまうのではないかという懸念があります。 抽象的なことしか言えず申し訳ないのですが、僕が感じたブラッシュアップのイメージは以下です。 今ある笑いを更に突き詰めながら、何か主題と物語の関連をみつめる、しかも直接的な関連を描くとテーマ主義的になるからそれは避けて、間接的な形でイメージを結びつけていく、それは観客全員に共有できる形で表に表現されなくても良い。一部の観客は「あー笑った」とだけ帰ってもいい、でも作者の中で何か結びつけを物語の根っこの部分で繋げておく。そのことによってこの劇の豊かさ、深さが広がる可能性はある。  全国でも観客を魅了できる、味方にできる作品だと思います。活躍を楽しみにしています! ◆劇団jobless 俳優のクオリティがかなり高かったです。特に人数を使った演出、全員で同じことを言ったりする演出の時のクオリティがとてつもなく高くて驚きました。 また、この話は他の団体でもあったような小さな成長というよくある話型なんですが、ほんとにあくまで小さな成長(挨拶を返す)にしていて、かつ、その手前の忘れ物を届けてくれたパートも説教臭くなく処理されていて良かったです。 総評でも述べた通り、劇団joblessは今回の作品でファンを獲得したと思います。演出的な個性、役者の魅力、スタッフワーク、全体的に秀でたものがありました。 唯一問題なのは、主人公の学校になじめない、浮いてしまうということが、矯正されるべきものとして扱われているように見えてしまったということです。 なぜかというと、「ちゃんとしなさい」と先生にも同級生にも言われてきた主人公が、そのまま周りの期待通りにちゃんとする(挨拶を返す、学校にくる)ということで成長した、というように見えるラストになっている。勿論実はこれがマジョリティに迎合してしまった怖い落ちとして読めなくもないですが、そうは演出されてないように見えました。 そうなると、例えば学校でじっと座ってられないとか騒いじゃうとかそういう状態にある、病気や障害を持っている子供がみたらどう思うか、あるいはその子を育ててる親が観た時に、「結局、この子に普通になれってこと?」という感覚になる可能性はある、と思います。  なので、作品の性質上、最後に希望を残す終わり方にしたかった場合も、それが画一化された普通に合わせるということじゃない希望を描けるようなアイデアが必要だと思いました。少なくとも希望を描くとしても成長というものにこだわらなくてもいいと思います。 作品を観ていても、集団力が高いチームであることは一目でわかります。量的にも質的にも充実した稽古を積み重ねられるだけの実力のあるチームです。なので言うのですが、そのチーム力を戯曲を作る過程においても生かしていく手もあると思います。今回の戯曲についても沢山話したとは思いますが、以下のようなことをもしやっていなければやってみるのはどうでしょうか。 今回のような作品の場合、学校になじめない、あるいは世間の普通に合わせられないという悩みは本や映画の中で沢山扱われています。実際にそうした体験をしている人が書いた本、研究をしている人の本もあります。クリエイションの際にそうした本や映画を選んで、皆で観て話してみるのはどうでしょうか? 観たものの話をして意見を共有した後、自分たちの作る作品にも意見を出してみるんです。 これをやると戯曲が良くなる可能性は高いですし、俳優の芝居はより厚みを増す可能性があります。スタッフワークとのイメージの共有もスムーズにできるかもしれません。 これだけ質の高い作品が作れる皆さんなら、どういう風に社会の中で作品が受け止められるかということを考えてクリエイションをしてくことはできると思います。 =斜田章大(廃墟文藝部)= 【総評】 はじめに。今回上演された参加団体の皆様、本当にお疲れ様でした。講評でも話させていただきましたが、演劇作品を完成させ、上演をするというのは本当に大変なことで、それだけでリスペクトされるべきものだと思っております。演劇祭は、普段見に来ないお客様も見にきますし、良くも悪くも周りから注目をされるものです。心無いことを言う人もいるかもしれません。しかし作品を作り上げた事はリスペクトされるべき事ですし、その事をどうか、誇りに思ってほしいと思っております。そして今回、一緒に演劇祭に参加された皆さんも、お互いにそのリスペクトを忘れないようにしていただければと私は思っております。 また今回、総評を書かせていただいておりますが、皆様には勿論、この総評を「読まない」権利もあります。また読むとしてもそのタイミングを選ぶ権利がありますし、総評の内容を参考にするかどうか選ぶ権利があります。自分達の作品を真に理解できるのはやはり自分達自身だと思っております。これを読んで、違うなと思ったら是非その感覚を大切にしてください。自分自身がやりたいことを自らがより深く知る助けになれたら嬉しいです。 名古屋学生演劇祭は、賞という結果が存在する演劇祭なので、悔しい気持ちを持った方、納得できないという気持ちを持った方、勿論、いると思います。まずは自分の気持ちを大事にしていただければと私としては思っておりますし、その気持ちを否定しないであげてくれたらと思います。そのうえで、もしできたら、全国へ出場することになった団体を応援してくれた嬉しいです。(できたら、で大丈夫です。)  他の団体を応援したり、健闘を讃えることは、けっして悔しかったり納得できない自分たちの気持ちを否定する行為ではないと私は思っております。ご自身の色んな気持ちを、大切にしてくれたと思っております。 それでは、各団体の評に入らせていただきます。 【Aブロック】 ◆な鳴る 非常にクオリティの高い作品でした。今回、審査員賞は「劇団とかげのしっぽ」さんになりましたが、「な鳴る」さんの作品と、どちらを選ぶべきかは最後の最後まで悩みました。 これは審査員三人の総意です。今回、惜しくも受賞には至りませんでしたが、どうかご自身たちの作品に自信と誇りを持ってくれたら私は嬉しいです。 上質な会話劇で、俳優も皆さん、とても上手だったと思いますし、戯曲も書きすぎない、余白を読ませるつくりになっており、作家の力を感じました。蛍光灯の明滅は、この時間もいつか終わることを予期させていると自分は受け取りました。(この解釈が合っているかは分かりませんが、上演には良い効果をもたらしていたと思います。) 唯一気になったのは冒頭の映像によるモノローグとラストの展開で、冒頭とラストにあるということは、これが、作家演出家が特にしたかったかと思うのですが、それが作風も鑑みると恣意的すぎるようには感じました。 (これが大きな減点であったということではありません。しかし全国で上演されることになっても、おそらく審査議論の中心になった箇所なのではと思います。) 既にとても面白い作品を作れているだけでなく、これからの更なる成長の可能性も非常に感じる団体でした。この作品の再演でも、新作でも、ぜひこれからも作品を作っていただきたいと心から思っております。 ◆劇団クリップ 重いテーマに挑んでいる事に好感を持ちました。しかし残念ながら、戯曲の構成が良くなかったように感じました。 冒頭から、「どうして今この人たちはこの話題を話さないといけないんだろう」と感じてしまい、のめり込むことが難しかったです。(会話の流れに、作り手側の都合を感じてしまいました。) 全体の構成をまず整理し、各シーンのシチュエーションを、練り直すべきだったと思っています。会話は基本、何かしらの目的があってなされます。目的と障害を整理し、その中で語らなければいけない情報をどう出していけば面白いかで考えるとわかりやすいかもしれません。 勿論会話自体が目的である雑談形式でも良いです。 ただその場合も、この会話のどこを観客は面白く思うのかを意識しながら書くのが良いと思います。 ◆劇団翔 アイデアは面白いと思いました。現実に自らが寄って行っているアリスの世界という設定は見たことが無かった気がします。 残念だったのは、作品の一番大切な場所である冒頭が説明になってしまっており、その後も用意されたストーリー説明を聞くような観劇体験になってしまっていた事です。 折角面白い世界設定もそれを説明されるだけでは、退屈に感じてしまいます。説明は、今回のような作品ではゼロにすることはかなり難しいとは思いますが、セリフ以外での説明を考える、観客の想像力を利用した説明を考える等、工夫の余地はあったと思います。 またこれは意図的なものかもしれませんが、アリスをテーマにするのであれば、演出的なアプローチも俳優のアプローチも、もっと大きく奇天烈なものであってもよかったかもしれません。逆に現実に寄ってきているという点を強調したかったのであれば、もっと極端に現実的で生活感を感じるような要素があるべきだっと思います。 【Bブロック】 ◆景色・道無 冒頭からダンスがあり、まず引きを作ろうという意識を感じ好感を覚えました。ダンスのクオリティは、厳しい意見を言う方もいると思いますが、おそらくダンスをリードし教えていた俳優さんの実力は感じましたし、他の俳優さんに関してもまっすぐな努力を感じ、私は好感を覚えました。 ただダンスの意図自体が、男を誘惑する事。その一点に集結し過ぎて見えたのは残念でした。もっと短い尺の作品ならそれもありかと思うのですが、今回の尺ならばもう一捻りが検討できたかもしれません。 また間に挟まる会話パートに関しても、もう少し練られたように思います。メリハリを考えるならもっとリアルな会話で良いと思いますし、リアルな会話としてみせようとしていたのであれば、申し訳ないですが、会話を書く技術が少し甘かったと思います。それぞれの登場人物が持っている情報と観客が持っている情報を精査すると、もっと面白い会話が同じくらいの尺で表現できたでしょう。 ラストシーンを人体と影で表現しているところがとても演劇らしかったと思います。ぶつっと切れ味良く終わったのが、純文学を一冊読み終えたような感覚で、好印象でした。 ◆おかし企画 舞台を下りることの怖さについて触れている作品は私は見た事がなくてその着眼点にセンスを感じました。 また舞台さんが、ずっと吊られていて、上空にあって、基本的に話してはくれないけど、ちょっと応えてくれる瞬間とかもあって、ここは自分が思う舞台という概念に近しいものがあって、好感を覚えましたし、またシンプルに面白かったと思います。 全体的にお話は行き当たりばったりな感じがあって、ここは賛否分かれると思います。 ただ私としては、自分たちの思う面白い事を座組みんなで詰め込んだ感じがしましたし、そのしっちゃかめっちゃかさは、作品のテーマにも沿っているので好印象でした。 またラストの二人の勝負を話し合いでつけるのではなく、殴り合いで決めるというのも、とても演劇的ですし、勿論リアルな世界では暴力で解決すべきではないのですが、あの抽象的な世界においては、強い思いの方が勝つという感じがしてすごく良かったです。 全体的に面白く観劇できましたが、強いてあげるとしたら、勢いがよかったからこそ、ラストに失速した感じは受けました。 もっともっと突き抜けたものを見せるか、あるいは感心するくらい綺麗な着地を決めるか、このどちらかを見たかったなと思います。作られている方々にセンスはとても感じたので、どちらの方向でもやれる気はしました。 これに関しては、必ずしも脚本の力ではなく、演出や俳優の力でも良いと思いますが、あと一つ踏みこんだものが見たいとは思ってしまいました。 ◆劇団とかげのしっぽ モノローグも会話も滅茶苦茶センスを感じました。脚本がとても魅力的なだけでなく、俳優さんもこの脚本の世界観を構築するのにとても良い働きをしていたと思います。 脚本は少なくとも私は、正直理解できたとは言い難いですが、その分からなさも面白いものとして捉える事ができました。  強いてあげるからこの難解さについては、賛否は分かれると思います。 この難解さを逃げという意見を言われる場合もあると思います。 特に表裏の存在が僕には意図が分かりませんでした。演出家の方が、やられていたと思うのですが、その事に意図があるのかも判断に迷いました。 光という単語がずっと象徴として機能しているのが面白かったです。また、寂れた観光地(これはきっと犬山なんだと思いますが)が同じく象徴として機能しているのが面白く、これは別の地方で上演されることになっても、似たような場所は全国にあり、その匂いや質感を観客は共有できると思います。 その観光地と、「何がしたくて、どうして生きているか」が、分らなくなってきている人間(これが光が無くなっている状態だと思います。)との相似を描いているのがとても面白く、また切れかけの電球がたまに何かを思い出したように光る様を思い起こさせるものがありました。何かを表現するのに、言葉を用いながら、その言葉から連想される光景や、音、匂いのようなものまでを効果的に使えていて、作家の力を感じました。 モノローグが全体的にセンス抜群だったのですが、後半にある「生に対する関心がほとんどなくなっているから、どんな理由でもついてきてしまうんです」という言葉はかなりはっとさせられるものがありました。 会話のセンスも素晴らしくて、クスッとさせるだけでなく、ふとゾッとさせられることもあり、作者の掌の上で楽しく踊らされているように感じました。 間違いなく面白い作品であり、私は審査員賞としてこの作品を推しましたが、全国に出場する際の懸念点としては、座組全体がこの面白さにどれくらい自覚的かという事があるかと思います。そこに一本の芯が無いと、これはただ「面白そうに見えだけ」のものだという評価になってしまう可能性もあると思います。 【Cブロック】 ◆劇団はっそく 極端なまでにシンプルで不要なものを削ぎ落とした会話劇で、賛否が割れるだろうなと思いました。その上で、私は面白く観劇しました。 男女の会話の中に、何かが起こりそうで起こらない。そういう関係性もあるかと思いましたし、複数の作品を見ることになる演劇祭でこういう作品があることも観劇体験としてかなり面白かったです。 また作家はかなり意図的にこの何も起こらない作品を作ったのだろうと私は思いました。(実際のところは勿論分かりませんが)。この作品が一番印象に残ったお客様も一定数いるだろうと思います。作家がやりたいことはかなりの精度で、舞台上で実現できていたのではないでしょうか。 その上で、審査ということなると、例えば決勝に上がった団体さんと比較すると作品自体が少し弱くは感じてしまいました。 作品全体の尺を考えると、もっと複雑で、かつ観劇した後に、面白い発見があるテーマにも、挑めたように思ってしまったのです。作家に可能性を私は感じたので、もっと自分を信じてもいいのかもしれません。(ただしこれは観客の想像力に甘えてもよいということではありませんので、それはご注意ください。観客の想像力を信じることと、甘えることはとても似ていると思いますが、やはり違うものです。) ◆萌Co. まず一人芝居で挑まれたことに敬意を。この長さの一人芝居に挑戦するということは、とんでもないことですし、それだけで、多くの人を魅了する第一歩にはなります。勿論、それを第一歩で終わらずに、実際に実現できたのは、その選択だけでなく、俳優としての力が確かなものであったからです。誇りに思っていただけたら嬉しいです。 作品もとにかくずっと面白いことが起こっており、絶対に観客を虜にするんだという力強い意志を感じ、好感を覚えました。後になって冷静に脚本を分析していくと、よく分からない展開であったり、いきあたりばったりすぎる面もあるとは感じました。(このあたりが自分としては審査員賞としては推せなかった部分になります。) 枠の扱いや映像などももっと遊び方はあると思います。 しかし、それに関しては尺の問題もあったかと思うので、全国ではもっともっと面白い、素敵な作品になれると思います。 今回の全九団体で一番、尺が増えた時の伸びしろを感じたのがこの作品なので、全国に上がられたこと、私もとても嬉しく思っています。 脚本を整理するということを前述しましたし、それは必ず必要な作業だと思いますが、丸くまとめるよりは、力強く羽ばたくぞという前のめりな気持ちで改稿に挑まれた方が良いと思っております。 ◆劇団jobless 作品の完成度は間違いなく、とても高いです。今回惜しくも、三賞の受賞は逃されてしまいましたが、それは今年の名古屋学生演劇祭が、本当にレベルの高い戦いであったからです。是非、自分たちの作品に自信と誇りを持ってください。 講評では、主人公の成長ストーリーとしてこの物語を見た場合、主人公の抱える問題の大きさに比べ、回答が簡単すぎたのではないか、といったことが議論にあがったかと思います。これは難しい問題ですが、自分もダメな意味で小さくまとめてしまったようには感じました。演劇で一番大事なのは冒頭、二番目が結末だと私は思っております。ラストシーンで一ひねり……観客が少なくとも30分という観劇中では絶対に思いつかないような、捻りを効かせた見事な着地をするか、あるいは登場人物のドラマをもっと深く深く深くしていき、この登場人物たちの描く物語ではこうなるかと納得できるものを描くか、このどちらかであったらと思っております。座組一同、非常にレベルの高さを感じたからこそ、もっと難しいところまで最後には踏み込んで欲しかったと感じました。 以上が、今回の各団体へ評になります。 今回の名古屋学生演劇祭は非常にレベルが高かったと私は思っております。演劇の未来は明るいと心から思いました。 これからも演劇を続けていく人もいますし、演劇を残念ながら去る人もいるかと思いますが、皆さんにとってきっとこのイベントは実りのあるものだったと思います。このような形で皆さんの作品に触れられたことは、審査員としても一人の観客としても、大きな喜びでした。 最後になりますが、素敵なイベントを切り盛りしていただきました実行委員会の皆様、本当にお疲れ様でした。作品を生み出す学生たちを支え、観客を迎え入れる土台を整えることは、決して容易なことではなかったと思います。そのご尽力があってこそ、この演劇祭は無事に成立しました。本当にありがとうございました。

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